『若い頃の苦労は買ってでもしろ』

若手社員が、上司やベテランのおじさん社員に、1度は言われる台詞です。

その台詞とともに、厄介な案件や面倒な雑務を任されて、嫌な気分になったことがある方もいるのではないでしょうか。

しかし、実は若い時に苦労しなくたって、何も問題はないのです。

苦労に年齢は関係ない

そもそも、苦労することに若いとか年寄りだとか、年齢は一切関係ありません。

若いから苦労するべきという理屈もなければ、年寄りだから苦労しなくていいという理屈もないです。

もっと言えば、いかに苦労せず物事をスムーズに進められるかが、優秀かどうかを分けるでしょう。

苦労というものをしなければ成し遂げられない時点で、その手段は得策ではないと言えます。

仮にどうしても苦労しなければならない場面があるとして、それをやるのは出来る余裕がある人で問題ないはずです。

苦労は進んでするものではない

『苦労は買ってでもしろ』という言葉には、日本独特の美徳が潜んでいます。

昔の日本人は、自ら苦行に取り組み堪え忍ぶことが、素晴らしいという文化がありました。

しかし、今や世の中は令和となり、そんな昔ながらの価値観はとっくに廃れています。

苦労しなくていいならそれがベストですし、自ら苦労に歩み寄っていく必要はありません。

ましてや、他人に強制されて苦労させられるなど、イジメとも言えるでしょう。

中年達の嘘と妬み

若手に何かと説教まじりに苦労を押し付けてくるのは、大抵の場合おじさん達です。

「これがお前らのためになる」とか、「俺達が若い頃はこんなもんじゃなかった」などという言葉をセットにしてくるのが常套手段です。

はっきり言って、これらは若手を妬む中年達の都合の良い嘘でしかありません。

現在若手にそう言って苦労を押し付ける中年達も、かつては若手だった時代があります。

そして、今と同じようにかつての上司やおじさん達に、同じように苦労を押し付けられていたはず。

それを経て今目の前にいる中年達は、果たして若手が「こうなりたい!」と尊敬と憧れを抱く人間でしょうか?

・・・その答えは、聞くまでもないことだと思います。

中年達は、若くてパワーに溢れる若手が憎くて、妬んでいるのです。

だから自分の立場を利用して、「俺はあんなに苦労したのだから、お前等だけラクはさせない!」と考えているだけ。

そんなくだらないものに付き合う必要は、どこにもありません。

何もせずとも苦労する時は訪れる

苦労というものは、生きていればどこかのタイミングで、必ず訪れるものです。

それがどんなものかは分かりませんが、死ぬまで何1つ苦労せずにいるのは、絶対に不可能でしょう。

何故なら、自分の都合だけで世の中は動いていないからです。

つまり、若い時にわざわざ自分から苦労する道に進まなくても、いずれは苦労が向こうからやってくるのです。

でもそれは、自分がより良く生きていくために、乗り越えなければならないもの。

そしてそれを乗り越えて、多くのことを学んでいくことが出来ます。

他人に無理やりさせられる苦労と、自然にやってくる乗り越えるべき苦労。

どちらが『良い苦労』かは一目瞭然です。

無理な苦労の連続が招く危険

しなくていい苦労は、人間を大きく消耗させます。

それが1度だけならまだしも、何度も短期間で迫ってきたらどうなるか。

ある人は心身の調子を崩し、ある人は仕事に絶望するかもしれません。

最悪1人の人間の人生をめちゃくちゃにしてしまう可能性もあります。

そうならないためにも、苦労なんて進んでしなくていいですし、つらくなったらしっかり休んでいいのです。

自分が楽しくやれることをやればいい

苦労の押し付けは、善意でも何でもなく、ただの害悪です。

苦労が人を成長させることもありますが、それは決して無理やりさせるものではありません。

人生の中で必要な時に、必要なだけ訪れるものです。

だからそれ以外の時は、自分が楽しいと思うことを、気楽に笑ってやれればそれでいい。

それを探すために、人は様々なことに挑戦し、またそこで学んでいくのです。

人生は1度しかありません。好きなように思いきって、充実したものにできるようにしましょう。