営業職という仕事は、世間から良いイメージを持たれていません。
ネット上には営業職に対してポジティブなことを主張しているサイトもありますが、そのほとんどが就職・転職サイトで、営業職に就かせて自分達の利益を挙げたいという思惑があるのが透けて見えます。
もちろん、人によっては営業職の気風が合って転職となるかもしれませんが、少なくとも僕は営業職に二度とつくつもりはないくらいに合いませんでした。
それは過去に営業職へ転職し、8ヶ月で退職した経験から学んだことです。
本記事では、その8ヶ月間に何があったのか、入社から退職までを振り返って解説します。
営業職で働くことを考えている人、もしくは既に働いているけれど辞めるか悩んいる人の、参考になれば幸いです。
入社の経緯
そもそもの話になりますが、僕は元々営業職になるつもりは全くありませんでした。
では何故営業職になったのかというと、端的に言うとよく分からないまま入社してしまったのです。
当時、キャリアカウンセラーの資格を取得したばかりで、これを活かした仕事をしたいと考えて転職活動をしていたのですが、なかなか採用されず・・・。
転職活動を開始してから半年が経過しようとしており、正直なところ焦っていました。
そんな折、「営業もしくはコーディネーター」という記載がされたとある中小規模の人材派遣会社の求人を見つけたのです。
営業は論外でしたが、コーディネーターであれば派遣社員へのヒアリングから適性などを分析し派遣先とマッチングさせる業務なので、キャリアカウンセラーの資格を活かせると考えました。
そして採用面接を受け、無事採用にまで漕ぎつけることができました。
コーディネーターではなく営業で?
入社してから2日間は、社会人マナー研修など、基礎的なことをやっていました。
マナー講師は優しい40代の女性の方で、この時はまだ心も穏やかな状態でした。
しかし研修が終わり、これから業務に入っていくという段階で、社長からこんなことを言われました。
「いまコーディネーターは足りてるから、営業からスタートで頼むな」
一瞬何を言われたのか理解できませんでした。コーディネーター希望であり、営業はやらないという話で採用面接の際は着地したはずだったのに、それを見事にひっくり返されたのです。
とはいえようやく決まった転職先を、わずか数日で退職するというのも精神的にきついものがあったため、言葉を飲み込みひとまずやってみることに。
これがつらい日々の始まりでした。
地獄のような1か月間のアポ電業務
「営業の基本はアポを取り付ける営業電話や!」という社長の持論のもと、1か月間アポ電をすることとなりました。
これを1日中やるのは、いま思い返しても本当に過酷だったというのが記憶に焼き付いています。
アポ電自体も全く気乗りしませんでしたが、何よりきつかったのが社長からことあるごとに指摘を受けること。
その指摘も、「声が小さい」や「トーンが低い」といったことから始まり、次第にエスカレート。ついには「常に立ってアポ電しろ!」と怒鳴られました。
中小企業にありがちな社長によるワンマン経営であり、社長の言うことには誰も逆らえないため、先輩や上司がかばってくれることはなく、それがよりつらさを助長させました。
2週間が経過した辺りから常に胃が痛く気分も落ち込みっぱなしでしたが、「この期間を乗り越えられれば・・・」という気持ちだけでやっていたのを覚えています。
1ヶ月を終える頃には、既に自己肯定感はほぼ無くなっていたように思います。
OJTとは言えないOJT
地獄のようなアポ電から開放されたと安堵したのも束の間、いよいよ営業として本格的に稼働することになります。
最初は上司に連れられ得意先へ挨拶に伺ったり、飛び込みで営業をかけたりしていました。
ただ、この上司が非常に面倒というかクセのある人で、移動中にしてくるのはひたすら自分語りとよく分からないお説教。
今となってはその内容は全く覚えていませんが、あの時の上司のニヤケ面が気持ち悪かったことだけは覚えています。
そして肝心の営業としての仕事はほとんど教えられず、質問しても的を射ない答えしか返されませんでした。
そんな状態だったので、いざ独り立ちし営業することになっても、よく分からないままやっていたというのが正直なところです。
僕は現在までに7つの職場で働いてきましたが、ここまでOJTとは言えないOJTは、後にも先にもこの時だけです。
ひたすら「向いてない」を自覚する
分からないなりにも、仕事である以上は何とか成果を出さなければと必死になってやり続けました。
しかし、そこから半年間やって痛感したのは、僕は本当に営業に向いていないということ。
無下にされればショックを受けるし、ハッタリもかませないし、したたかにもなれない。
営業であれば持っていなければならないもの、持っていなくていいものを、ことごとく正反対に持っている(もしくは持っていない)自分がいました。
やればやるほど、頑張ろうとすればするほど、失敗が大きくなるばかりで良いことは1つもなく。
気が付けば体重は5キロ以上落ち、笑えなくなり、何にも楽しめなくなっていました。
「このままでは死ぬかも」と思った日
会社に行くために朝起きるのも、通勤電車に乗ることも毎日重い気分を抱えつつ何とかやっていたある日。
当時会社に行くためには電車を1本乗り換える必要があり、乗り換えたら1駅で着くところにありました。
乗り換えの電車が来るまではわずか2~3分で、その電車が来たら会社までもう少しで着いてしまうと思うと、より陰鬱となります。
そんな気持ちで電車が近づいてくるのが肉眼で見えた時、こんな考えが頭をよぎりました。
「あの電車に轢かれたら、もう会社行かなくていいのかな・・・」
幸いすぐにバカなことを考えたと気付けましたが、このままでいたらいつか死ぬかもしれない。
そうなる前に辞めるべきだとあの時に思えたのは、今となっては正しい判断だったと自信を持って言えます。
退職日も営業
辞めようと決意してから実際に退職するまでにも色々なことがあったのですが、さすがに長くなりすぎるので割愛します。
ただ、鮮明に覚えている出来事は、退職日当日にまで営業の仕事をさせられたことです。
仮にアポを取れたとしても、肝心の自分自身はもういなくなるのに、なんてバカらしいんだと思いました。
その日はちょうど雪が降ったばかりで寒さも厳しかったので、外回りなどせずにカフェで時間を潰していました。
完全にサボりですが、コーヒーを飲みながら「もう二度と営業職は御免だな」と考えながら、穏やかに過ごせたので嬉しかったですね。
そうして無事に終業時間となり、僕のわずか8か月間の営業職での仕事は幕を閉じたのです。
仕事は辞めても死なないけれど続けると死ぬ可能性はある
営業職への転職は、僕にとって完全な失敗でした。
けれど、この失敗から学べたことはたくさんあるので、後悔はしていません。
その中でも学べて良かったと思うのは、仕事は辞めても死なないけれど続けると死ぬ可能はあるということ。
仕事なんて世の中にたくさんありますし、この日本で仕事を辞めた程度で死に直結することはまずありません。
でも、仕事を続けてストレスに晒され続けることで、僕のように電車に轢かれることを考えたりして、死を選ぶ可能性はあるでしょう。
「辞めたくても辞められない」という人はたくさんいますが、それがどんな理由であれその仕事で心身に大きな負荷がかかっていることを自覚しているなら、手遅れになる前に辞めるべきだとハッキリ言いたいです。
特に営業職は向いてない人にとって、負荷のかかり方が半端ではないので、早く辞めることを強くおすすめします。
自分の性格と適性に合った仕事をしよう
やる前から僕に営業職は向いてないと思っていましたが、やってみて向いてないことを明確にできました。
このことから、仕事は自分の性格と適性をしっかり分析した上で、選択するのがベストと言えます。
仕事に合う・合わないなんて甘えだと言う人もいますが、そういう人は強靭な(あるいは鈍感な)メンタルの持ち主で、合う・合わないを乗り切れてしまうタイプというだけです。
そうでなければ、遅かれ早かれ僕のように苦しむことになります。
今は自己分析ツールが充実していますし、無料で使えるものも多いので簡易的であればすぐにチェックできます。
また、キャリアに関するサポートをしているサービスも多いので、本格的にしっかり分析したい場合はこちらを活用すると良いでしょう。
失敗から学べることは多いですが、失敗しないに越したことはありません。
僕の二の舞にならないように、あなたが仕事を楽しくやれることを祈っています。