「仕事なんだから死ぬ気でやれよ」

1度はこう言われたことのある社会人は、未だに多いのではないでしょうか。

筆者も過去に当時の上司から、まさにこの文字通りに指導されたことがあります。

確かに仕事は本気で取り組むべきものかもしれません。

しかし、死ぬ気でやる必要など、どこにもないものです。

むしろ死ぬ気でやることで、様々なリスクに晒されることとなります。

この記事では、そのリスクを5つ解説します。

『死ぬ気の使いどころ』を間違えるな

人生の中で、死ぬ気で頑張らなければならない場面に遭遇することが、1度はあるかもしれません。

でもそれは、自分がそれを覚悟してやることであって、他人から強制されるものではないです。

死ぬ気でやることによるリスクは、どれも今後の人生に悪影響を与えかねないものです。

そこまでしてやらなければならないことは、人生でそう多くはありません。

死ぬ気の使いどころを間違えないように、慎重に判断することが必要なのです。

心身に異常をきたしても自己責任

死ぬ身でやっていれば、その分心身の消耗は激しくなるばかりです。

ある程度の消耗は自力で回復できますが、一定を超えると回復が間に合わず、そして訪れるのは様々なケガや病気です。

そうなれば休養せざるを得ませんが、1度そうなると回復までにかかる時間は想像以上に長いもの。

また、完治せず後遺症に悩まされることになる可能性も、十分あります。

しかしその責任を取ってくれる人はおらず、自己責任で終わってしまうことも多々あるのが今の世の中です。

プライベートが犠牲になる

死ぬ気でやるということは、人生の時間の大半をそこに注ぎ込むことになります。

それは自分の時間、つまりプライベートが無くなることを意味しています。

プライベートを犠牲にする働き方は、かつて日本社会で当たり前として捉えられていました。

しかし働き改革の導入などによって、そのような働き方はとっくに終焉を迎えています。

「昭和的働き方」の終焉で何が起こるか? | シリーズ 働き方改革 新時代のリーダーたちへ Sponsored by Dropbox | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース (toyokeizai.net)
https://toyokeizai.net/articles/-/282596

何かを犠牲にしなければ成り立たない仕事など、遅かれ早かれ潰れます。

そのことを胸に刻み、良いバランスを保ちつつするのが『仕事』ではないでしょうか。

自分で自分を追い込んでしまう

死ぬ気でやることをストイックだとポジティブに捉える人がいます。

しかしそれは同時に、自分を追い込むことにもなりかねません。

仕事には終わりがなく、自分の死ぬ気でやる度合いにも上限がないものです。

それはつまり、どれだけやっても「もっとやれる」という思考に繋がりかねないということです。

自分で自分を追い込むことに美意識を感じる人もいるかもしれませんが、人間はそんなに強くありません。

最終的に潰れてしまっては意味がないので、適度に緩くやるのがベストです。

搾取しようとする人間が湧く

世の中にはとにかくラクしてお金を稼ぎたい人がたくさんいます。

このタイプの人は、最低限の仕事さえせず、いかにサボって生きていくかを考えています。

そして死ぬ気で仕事している人、つまり頑張っている人を見つけると、それを利用して色々なことを押し付けてこようとします。

まさにやる気の搾取であり、このタイプの人に目を付けられると、思わぬ厄介事に巻き込まれることも。

どんな場所にも必ずいるので、死ぬ気で仕事しても目ざとく見つけてくるのです。

周囲にイライラするようになる

自分がどれだけ死ぬ気でやろうと、周囲がそうなることは有り得ません。

すると次第に「何でこいつらはちゃんとやらないんだ!」と、イライラするようになってくることがあります。

これは周囲との温度差によって起こるもので、心身が疲弊し追い込まれていくほどこの傾向が強くなってきます。

本来こう思うのはおかしいのですが、自分自身が普通でなくなっているため気付けないことが多いです。

その結果、周囲に不快な雰囲気を撒き散らしてしまい、空気が悪くなることも。

自分だけならまだしも、他人にまで迷惑をかけてしまうことになりかねません。

仕事は所詮仕事

身も蓋もないことを言えば、仕事はお金を稼ぐための手段に過ぎません。

もちろん死ぬ気でやって得られる結果はありますが、そのために捧げるものを見た時に、本当にそれで良いのかは考えるべきです。

仕事なんて人生のほんの一部であり、命を懸けるほど価値あるものでは決してありません。

死ぬ気でやっても、残念ながら報われないことは多々あります。

それでも頑張れるのもまた強さですが、頑張らなくたって誰にも責める権利はありません。

所詮仕事だ、という気持ちを持って、無理せず自分がやれることをやればいいのです。